2017年01月30日

天皇は唐王朝による日本征服の象徴

絶対に明かされない唐王朝による日本征服
 日本の人々は、過去1000年以上にわたって本当の歴史を知ることはできませんでした。ところが、現代に至り、中国に残されている史書も図書館やインターネットで簡単に閲覧することができるようになりました。そこから、この列島に関わる本当の歴史を知り得るようになりました。
 まず、天皇というシンボルは、西暦660年、唐王朝第3代皇帝李治の皇后武則天が、当時の道教の理念に基づき、皇帝を天皇、皇后を天后と改称したことにそのルーツがあることが分かりました。
 では、その武則天が命名した天皇が、どうして、この日本に存在することになったのでしょう。
 それは、その当時のこの列島と唐王朝との関係が明らかになればおのずと理解することができます。
 この列島の出雲王朝は、隋と国交断絶になりますし、「倭国などと呼ぶな、日本(ひのもと)と国名を改めたので、今後はそう呼ぶように」と、隋と同様に属国扱いをする唐王朝とも激しく対立します。
 そして、7世紀になると新羅対百済と高句麗間で争いが頻発するようになり、660年、百済と高句麗が新羅に侵攻し、新羅は唐に援軍を要請します。それ以後朝鮮半島をめぐって東アジアは激しい戦乱状態に陥ります。662年、唐と新羅は、いよいよ百済と高句麗の討伐に動き出します。一方、百済は「倭国」に支援を要請し、663年9月、唐と倭国の船団が、白江口で戦闘状態になり、倭国軍はことごとく殲滅されてしまいます。これが、「白村江の戦い」と言われています。その直後、劉仁軌率いる唐軍によって日本は占領征服されてしまいました。
 そのちょうど1年後、一時帰国した劉仁軌がこの列島の占領状況を皇帝に報告した言葉が資治通鑑に残されています。「陛下が兵を海外に留めているのは、高句麗を滅ぼすためです。百済と高句麗は昔からの同盟国で、倭人も遠方とはいえともに影響しあっています。もしも守備兵を配置しなければ、ここはもとの一国に戻ってしまいます」と、高句麗征服のためにこの列島を支配し続けていたことが述べられています。
 663年11月18日、旧暦の10月10日、当時の出雲王朝の人々はことごとく惨殺され、また多くの人々が東北に逃れていきました。ですから、出雲弁と津軽弁のイントネーションは共通しています。そして、今に至るまで、当時の亡くなった人々の弔いが執り行われています。それが、毎年旧暦の10月10日出雲の稲佐の浜で夜7時から執り行われる神迎えの神事に始まる「神在祭」です。
 その後、唐王朝による支配体制が完成し、それが701年の大宝律令です。それと同時に、天皇を頂点とする身分制度が導入されます。これ以降、日本の人々は唐王朝による殖民地支配下に置かれます。すなわち、唐王朝からすれば、天皇とはこの日本征服の象徴だったのです。
 しかし、その後、唐王朝がこの日本を占領征服したという歴史はことごとく消されてしまい、今に至っては、我が国はどこからも占領も征服もされていないなどという洗脳教育が徹底されています。それによって、唐王朝の残党勢力による日本人支配は安泰なのです。 

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posted by 西山恒之 at 10:10| Comment(1) | 天皇

2017年01月27日

天皇のルーツは武則天にあり

日本人には決して知らされない天皇のルーツ
 今、天皇の生前退位をめぐっていろいろ議論されていますが、まずその前に、そもそもどうして天皇なるシステムがこの日本には存在するのでしょう。また、いつから存在することになったのでしょう。そして、どうして今に至るまで存在しているのでしょう。そういった、天皇に関わる基本的なところは日本人には一切知らされることはありません。
 天皇という存在の本質は、我が国の支配勢力にとってはトップシークレットなのです。ですから、その支配下にある日本人になど知らせることはありません。
 天皇も含めて我が国の成り立ちに関わる本当の歴史は闇の中にあり、決して公開されることなどありません。この国に残されている歴史からは、決して真実に到達することはできません。唯一、中国に残されている史書を検証することによってのみ、我が国の本当の歴史に到達することができます。それによってのみ、天皇の本質も理解することができます。
 まずは、天皇がどのようにして誕生したのかを検証してみましょう。それには、中国の歴史を紐解かなければなりません。
 紀元前4世紀にかけて、中央アジアから東アジアに遊牧騎馬民族がやってきました。そして、満州エリアに「東胡」、モンゴルエリアに「匈奴」、その西に「月氏」が、それぞれ拠点を構えます。彼らは、中国王朝から「胡」と呼ばれて激しく対立しますが、胡の民族間でも大きな抗争が起きます。紀元前3世紀頃、月氏と匈奴の間に争いが起き、さらに匈奴と東胡との間でも大きな戦いになり、東胡の王は殺され、東胡は鮮卑と烏丸に分裂します。東胡は、この激しい抗争に敗れ、その一部がこの列島に逃避してきます。
 その後、匈奴に敗れた東胡の末裔である鮮卑が強大化し、紀元2世紀頃になりますと、逆に鮮卑が匈奴を滅ぼし、北アジア一帯は鮮卑の支配するところとなります。この頃、匈奴の一部が、それらの攻撃を逃れてこの列島にやってきます。
 永らく分裂を繰り返していた中国王朝ですが、楊堅が隋を建国し、589年に中国全土を統一しました。楊堅は、鮮卑系の北周の系列にあり、中国王朝は、胡の勢力の鮮卑によって統一されたことになります。
 隋の第2代皇帝煬帝は、江南との運河建設や3度にもわたる高句麗遠征の失敗で、隋は大混乱に陥ります。その混乱の中で、隋の武将だった李淵は、隋の中央を掌握し、唐を建国しました。とは言え、隋も唐も同様に鮮卑族による貴族政治で、その王朝の担い手が代わったに過ぎません。今で言う「政権交代」のようなものです。
 唐王朝第2代皇帝李世民の時代は、『貞観の治』と言われるほどに善政が行われたと評されてもいますが、第3代皇帝李治の時代になると、大きく治世が変貌していきます。649年、李治は、皇帝位に就くも病弱だったため、655年に皇后となった武則天が実質的支配者となります。
 武則天は、624年生まれで、幼名、あるいは本名を『武照』と云い、14歳で第2代李世民の後宮に入り、その後李治に取り入ります。その李治との間に娘が誕生するのですが、武則天は、わが子を自らが絞め殺し、それを王皇后の仕業だとして、王皇后を皇后の座から蹴落とします。武則天は、自分が権力の座を仕留めるためには、わが子をさえも自らの手で抹殺するという残忍な手法を使っています。
 この時点で、武則天は人間性を喪失しています。李世民は、武則天を遠ざけていましたから、あるいはその本性を見抜いていたのかもしれません。しかし、李治は、4歳年上の武則天に心を奪われ、周囲の反対の声も聞かず、武則天を皇后にしてしまいます。
 皇后となった武則天は、その王前皇后等を虐殺しています。こうして、唐王朝の実権を握った武則天は、身内の武氏一族を重用しますが、冷酷非道に子や孫であろうと自らに反抗する者を容赦なく抹殺し、また密告により反対派を徹底して潰すなど、独裁的な恐怖政治を横行させました。
 ですから、漢代の呂后、清代の西太后とともに『中国三大悪女』と称されてもいます。
 また、隋を滅ぼして唐を建国した李淵は、『天子になるであろう』という道教からの予言が、その行動の根底にあったとも言われています。そして、唐王朝初代皇帝となった李淵は、主要な3宗教に、『道教・儒教・仏教』という順位を付けて道教を推奨しました。それに対し、仏教徒は、太子李建成を支持して巻き返しを図ろうとするのですが、道教に推される李世民が李建成を廃し、第2代皇帝となります。
 この道教を重視する動きは、第3代皇帝李治の時代になるとさらに強まります。当時の道教にあっては、錬丹術、あるいは外丹とも言われますが、丹、つまり水銀を服用することで不老不死の仙人になることができると考えられていました。辰砂などから取り出した硫化水銀を原料とする仙丹を、皇帝たちは不老不死の妙薬だとして求めていました。李治が病弱だったというのは、あるいは水銀中毒の可能性もありそうです。
 そして、李治の皇后となる武則天も、李世民が亡くなった時に女性道士となり、李治も武則天も、道教に大きく関わっています。
 その道教では、天の中心を為す北極を『北辰』と呼び、宇宙の中心だとしていました。それが、神格化され、『天皇大帝』とも呼ばれていました。こういった考え方を基にして、660年、武則天は皇帝を『天皇』とし、自らも『天后』と改名しています。
 ここにこそ、我が国の今にまで続く天皇の『ルーツ』があります。
 天皇という名称をこの世に生み出したのは、武則天でした。ですから、我が国において武則天は、天皇の祖先「天照」として伊勢神宮で祀られています。それを象徴するように伊勢神宮の神紋は花菱で、別名が「唐花」と呼ばれています。
 先にも述べましたが、武則「天」の幼名・本名は、武「照」で、まさしく「天照」です。その武則天は、自らが即位すると、「聖神皇帝」を名乗っています。聖なる「神」であるところの「武」則天で「神武」です。つまり、天皇の祖先が「天照」だとか、初代天皇が「神武」だとしているのは、我が国の支配勢力のルーツは、武則天にあることを伝え残していたのです。
 ここにこそ、我が国の今にまで続く天皇のルーツがあったのです。





posted by 西山恒之 at 10:22| Comment(1) | 天皇

2016年08月29日

とうとう「邪馬台国」の謎は解明された!

 永年にわたって、我が国の古代史「最大の謎」とされてきた邪馬台国ですが、とうとう解明されました。
 しかし、江戸時代から数多くの学者研究者によって、その検証が行われてきていたのにもかかわらず、どうして解明にいたらなかったのでしょう。
 その最大の要因は、我が国の歴史が改竄されていたことにありました。つまり、邪馬台国に関わる歴史が歪められたことによって、正しい検証が妨げられ、混乱と混迷の中に陥れられてしまったのです。
 およそ、1300年前、当時の大陸の唐王朝によって、我が国に関わる歴史が改竄されました。その改ざんの手法と実態は、唐代に編纂された梁書や北史・南史に残されています。その改竄された歴史が、今の我が国の歴史だとされているのです。
 では、どうして、そういった偽りの歴史が、我が国の歴史だとされてしまったのでしょう。
 それは、西暦663年11月18日(旧暦10月10日)、当時の我が国の都である邪馬台国を含めこの日本が、唐王朝によって占領・征服されたことに根源があります。
 それ以来、我が国は、その唐(藤)を源(原)にする藤原氏によって殖民地支配下に置かれてしまいました。それによって、我が国の歴史は、彼らにとって都合の良い歴史に作り替えられてしまったのです。それが、今にまで続く記紀認識です。
 その記紀認識にあっては、本当の歴史は隠蔽され、ほとんど創作劇といったことになってしまいました。その架空の歴史が我が国の歴史とされたため、我が国の成り立ちの歴史は、闇の中に陥れられてしまいました。
 それによって、我が国の人々は、混乱と混迷の歴史認識で、1300年にわたって洗脳され続けています。洗脳されているなど全く思いも寄らないほどに、それは徹底されています。ですから、これが本当の歴史だと言われても、そんなことあり得ないとしか思えないほどに深刻な洗脳状態に置かれています。
 しかし、本当の歴史は、この世からすべて消し去られてはいませんでした。我が国にも中国にも、その片鱗や痕跡は残されていました。ただ、それが本当の歴史だとは見えないようにされてはいました。つまり、別物の歴史に作り替えられていたのです。ですから、我が国に、いくらそういった本当の歴史を意味する文献や史跡が残されていても、それに気が付くことは決してありません。本当の歴史が認識できて、初めて、そういった痕跡だと理解できるのです。そこに至るまでは、それがいくら歴史的資料だとしても、ただの路傍の石としか見えません。
 一方、我が国の支配勢力は、本当の歴史を知っています。そういった架空の歴史を偽造した当事者ですから知っていて当たり前です。本当の歴史を知っているからこそ、日本人を偽りの歴史で「正しく」洗脳できるのです。
 その彼らの歴史改ざんの大本になっているのが、記紀認識であり、邪馬台国論争と言われているものです。
 最大の改ざんは、「邪馬壹国=邪馬臺(台)国」です。つまり、魏志倭人伝に登場する邪馬壹国が、あたかも邪馬台国かのように偽装することです。ですから、邪馬台国への道順が、まるで魏志倭人伝に記されているかのように思わせています。魏志倭人伝には、邪馬台国への道順など書かれていないのです。魏志倭人伝には、当時のこの列島の大使館的役割を持っていた「伊都国」への道順が記されていました。その周辺の国として女王国である「邪馬壹国」が紹介されていたに過ぎません。
 その「邪馬壹国」は、女王国ではありましたが、決して邪馬臺(台)国ではなかったのです。それを、あたかも邪馬臺(台)国だと偽っているのです。その女王国である邪馬壹国とは別に、大倭王の居するところの邪馬臺(台)国が存在していたのです。
 ですから、本来、邪馬壹国であるにもかかわらず、邪馬台国だと思って魏志倭人伝の道順をいくら検証をしたとしても、邪馬台国に行き着けるはずなどないのです。
 それを、我が国の支配勢力は知っていて、敢えてそうさせているのです。その根底にあるのは、真実の隠蔽です。
 我が国では、1300年にわたって、この大倭王の居た邪馬臺(国)の存在を消すために、そういった改竄が行われてきたのです。そして、今もその隠蔽工作は徹底して行われています。「邪馬台国の女王卑弥呼」などという偽りで架空の概念が、学校教育やマスコミをはじめ、あらゆる手段で振りまかれています。近畿で何か遺跡を発掘しては、あたかも卑弥呼が近畿にいたかのような偽りの情報が振りまかれます。
 その隠蔽された本当の歴史に行き着くには、困難を極めました。きっかけは、万葉集でしたが、その万葉集にも多くの謎が秘められていました。その謎を解こうと追い求めていきますと、我が国に残されている歴史的資料からはどうにも解決できませんでした。そこで、中国に残されている史書を検証することになったのです。その検証の中で、その史書にも多くの謎が存在していたのですが、我が国の謎と多くで共通していました。そして、我が国の歴史の謎の根源は、唐王朝による歴史の改竄にあるということに行き着いたのです。
 我が国の古代史最大の謎とされてきた邪馬台国とは、実は出雲に存在していたのです。その歴史が唐王朝によって消され、全く別の歴史が創作され、我が国の人々を洗脳してきていたのです。
 その歴史の偽造は今を以って行われています。それは、今の我が国の中枢がその唐王朝の残党勢力によって支配されているからにほかなりません。ですから、徹底して偽りの邪馬台国論が彼らによって振りまかれます。出雲に注目が行かなければ、近畿であろうが九州であろうが、出雲以外であればどこでもいいのです。
 私たち日本人を奴隷のごとくに支配下にし、歴史までも奪った唐王朝の残党勢力から、本当の歴史をとり戻すことこそが、邪馬台国論争の本質でもあります。
 一人でも多くの人が、真実に到達されることを願ってやみません。

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posted by 西山恒之 at 12:41| Comment(1) | 邪馬台国

2016年04月20日

安保法制が発動された

仕掛けられた熊本地震

 4月14日21時26分頃、熊本県でマグニチュード6.4、震度7を記録する地震が発生しました。その被害に遭って亡くなられた皆様には謹んで哀悼の意を表するものです。また、避難されておられる方々には、速やかに支援の手が届くようにと願うばかりです。 
 ただ、しかし、今回の地震が本当に自然の地震なのかどうかという点では、大きな疑問があります。
 まず、熊本県で、北緯32.7度、東経130.8度、深さ10qを震源として地震が多発しています。さらに、大分県中部で、北緯33.3度、東経131.5度、深さ10qを震源として地震が多発しています。同じく、熊本県阿蘇地方で、北緯33.0度、東経131.2度、深さ10qを震源として地震が多発しています。その3か所で何かが引き起こされているといった極めて不自然な地震となっています。それに、深さもそれぞれ同じく10qです。
 これについては、気象庁も「3つの地域で別々の地震が同時多発的に発生している」、「近代観測が始まって以降は思い浮かばない」と述べています。そして、「今までの経験則から外れている」とその不自然さを指摘してもいます。
 その3つの震源域には、ある共通点があります。まず、熊本県益城町付近には陸上自衛隊高遊原分屯地、同健軍駐屯地があり、大分県中部には陸上自衛隊日出生台演習場があり、阿蘇地方には、陸上自衛隊玖珠駐屯地があります。
 そして、4月8日には、自衛隊機が鹿屋市で墜落し乗員6名が全員死亡しています。その捜索にあたった隊員は全員防護服を着用していたそうです。落ちるはずはないと言われるような自衛隊機だけに、熊本地震の直前ということで、その関連性も考えられます。あるいは、墜落ではなく、撃墜されたのかもしれません。
 また、熊本や大分地域には、鉱山や廃坑が数多くあり、地中深く坑道が張り巡らされていて、密かに作業をすることも可能です。
 今回の熊本地震の経緯を見ますと、決して自然の地震ではなく、意図的に仕掛けられた、3.11に引き続く地震テロだという疑いが極めて濃厚です。それに使われたのは核兵器で、首謀者は安倍一味、および我が国の支配勢力です。
 つまり、安保法制が発動されたと見るべきです。
 その目的は、大きく言って2つあると考えられます。その1つは、大陸侵略に向けてその重要な兵器となる核兵器製造に向けた核実験です。自然の地震と見せかけた地下核実験を強行したと考えられます。
 我が国の政府は、外務省の内部文書「わが国の外交政策大綱」(69年4月25日)で、「当面核兵器は保有しない政策をとるが、核兵器製造の経済的・技術的ポテンシャル(可能性)は常に保持する」と述べています。つまり、今は核兵器を製造しないが、いつでも製造できるようにその技術や原料、財源を常に準備しておくというものです。そのために、原発の稼働によって核兵器の材料となるプルトニウムはすでに30トン以上も保有していると言われています。
 安倍一味による安保法制の強行と同時に、核兵器の製造にも踏み出したと考えられます。
 また、震源地周辺は、爆心地域でもあります。高濃度の放射線には十分な注意が必要となります。
 もう1つの目的は、選挙対策です。その地震テロの強行を、夏の参議院選挙に連動した補欠選挙の時期にしています。選挙が始まり、否が応でも北海道に全国の注目が集まります。野党共闘の趨勢は夏の選挙を大きく左右します。野党共闘が大きな流れになってしまいますと、安倍自公政権は、ますます窮地に追い込まれてしまいます。そこで、マスコミや国民の関心を選挙から熊本の地震へと向けさせようとしたのです。地震への支援で、北海道選挙区への関心は薄れます。マスコミのニュースのトップは、選挙ではなく地震へと変貌します。
 そして、熊本地震で混乱する中、彼らの伝家の宝刀である「期日前投票の差し替え」と「集計機器の操作」で自公勢力の勝利を偽装するという戦略なのでしょう。
 安保法制によって、早くも国民の犠牲者を出してしまいました。ますます、安保法制の危険性が浮き彫りとなり、その廃止が急務となってきました。そして、熊本地震の被災者の救護と共に、熊本地震は決して単なる自然地震ではなく、その真相究明も急がれます。さらに選挙の不正操作も暴かれなければ、民主主義は死滅してしまい、独裁の嵐が到来してしまいます。
 安倍自公政権の打倒は、本当に国民にとって、一日も早く成し遂げなければならない課題です。そのためには、今の野党共闘をさらに発展させなければなりませんし、まだまだ関心の薄い人たちに訴えを届けなければなりません。
 安倍自公内閣の支持率は、ほとんど2割前後といったところでしかありません。それを大手マスコミが粉飾しています。それは、選挙結果の操作に「根拠」を持たせるためです。そういったマスコミと一体となった安倍自公政権や我が国の支配勢力の攻撃に国民が立ち向かうためには、まだまだ国民の団結の力を高めなければなりません。
 全国津々浦々で、自公政権打倒と野党共闘発展を目指して運動を高めていきましょう。

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posted by 西山恒之 at 13:04| Comment(0) | 安保法制

2016年04月06日

「徹底して騙せ!」・・・唐王朝による日本人支配

 列強諸国による世界分割が競われていた明治時代とは大きく様変わりして、今や、軍事同盟ではなく世界中に平和の共同体づくりが、大きな流れとなっています。
 半世紀前、世界は、米ソを中心とした軍事同盟のもとにある国が、世界の人口比で7割近くを占めていました。しかし、現在、その軍事同盟なるものに支配されている国は、同じく人口比で2割にもなりません。
 一方、平和的に紛争を解決するという、言ってみればわが国の憲法9条の精神で世界各地に非軍事の共同体が築かれています。わが国の平和憲法は、世界の流れを先取りし、また貴重な教訓ともされているのです。ところが、大陸侵略を目指すわが国の中枢を占める唐王朝・藤原氏の勢力にしてみれば、それは、「目の上のたんこぶ」でしかありません。世界中に戦争を仕掛けて侵略ができ、また、わが国の人々を奴隷のごとくに支配できる明治憲法に戻そうと彼らは虎視眈々と狙っています。
 しかし、そんな思惑が明らかになりますと、憲法改定どころではなくなってしまいます。ですから、「環境問題を憲法で明確にする」だの、「地方主権を書き込む」だの、別に今の憲法でも十分に対応できるような事柄を理由にしますが、その一番の主眼は、大陸侵略を可能にするための「9条の抹殺」でしかありません。さらに世界各地にテロなるものを仕掛けて、それを口実にして憲法を改定しようとしています。
 いかに、国民を騙して、自らの思惑に誘導するかが、今現在、彼らの最も重視している戦略です。そして、大陸で戦争状態になりますと、莫大な戦費が必要となります。その資金の調達が、「消費税の増税」です。
 彼らの大陸侵略の思惑を実現しようとすれば、この「憲法改定」と「消費税増税」は、セットで必須となります。また、いくら軍事力で制圧できたとしても、その兵力が帰国したら「元の木阿弥」です。だから、満州国の建国の頃と同様で、農民や各種産業に関わる人々を送り込まなければなりません。しかし、母国を離れて他国にまで行かせるなど、そうそう簡単にはいきません。それを可能にするのが唯一「貧困」です。この列島では農業を続けられない、あるいは仕事が無い、お金が無い、そういった貧困な状況にこの列島の人々を陥れ、大陸へ行けば仕事もお金も手に入るといったことで、それを可能にしようというわけです。
 戦前、地主は、耕作地がありながらも、小作人に作付けをさせず、食うに困る状態にし、「大陸へ行けば農地があるし、残った者には耕作地が増える」と大陸へ小作人を誘導しました。今は、地主がいませんから、政府が減反と称して耕作地を減らし、徹底して農業では生活できないように劣悪な農業政策をとっています。一部の大型農家だけが成り立つような方向に先導しています。新たな地主づくりということでしょうか。しかし、その大型農家すら成り立たないということにもなっています。さらに、TPPなるもので、農業を壊滅状態に陥れようとしてもいます。
 また、彼らは、3.11のように、「原発事故」を意図的に引き起こして、そこに住めないような状況を作り出し、大陸への大量移住を企んでもいます。3.11の狙いはそこにあったとも言えます。ですから、彼らの戦略からすれば原発は稼働していなければならないのです。あたかも原発を狙ったテロのように見せかける次なる3・11を密かに計画しているのかもしれません。
 国民を貧困や混乱に陥れ、それを利用して、自らの思惑を実現しようというのが、彼らの戦略です。あくまでも、どこまでも、自らの大陸侵略の思惑は秘匿し、そのためにこの列島の人々を、騙して利用しつくすというのが、彼らの手法です。
 つまり、古事記にある、因幡の白兎の逸話です。大陸侵略のためには、「徹底して騙せ!」、これが彼らの本性です。そのためには、米軍は、大切な「用心棒の先生」ですから、湯水のごとくに税金を投じます。同時に、沖縄の軍事基地も、大陸侵略のためには欠かせません。アメリカよりも、むしろ、わが国の政府の方が、基地建設を願っているかのようです。日米軍事同盟あってこその、大陸侵略というわけです。
 ところが、彼らの本性を理解するには、この列島の2000年からの歴史を遡らなければなりません。なかなか骨の折れることです。しかし、彼らの本性を明らかにしない限り、この列島の人々は、未来永劫、彼らの隷属下に置かれ、徹底して収奪されて貧困のどん底に陥れられるだけでしかありません。
 一人でも多くの人々が、この列島の歴史の真実に到達されんことを願わずにはいられません。

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posted by 西山恒之 at 09:43| Comment(1) | 邪馬台国 唐王朝